東京は「熱中症警戒アラート」が連日発せられる7月下旬。私は栃木県の那須高原の涼しい風の中を、車を走らせていました。その緑に囲まれた国道は、ちょっとした幻覚を見るような不思議な行程です。道はどこまでも真っ直ぐに伸びるようでいながら、実は丘の起伏に沿ってアップダウンし、緩やかにカーブもしています。時々、畑や牧場が見えて視界が広がるのですが、いつの間にか緑のトンネルに引き戻され、またひたすら真っ直ぐに、ハンドルを動かす意識もないまま、しかしナビ上では随分と曲がりくねった道を進んでいる、そんなトリックのような感覚です。この感じ、どこかで味わったなあ、と思ったら、そうだ、ピエモンテの葡萄畑の丘を走ったときも同じだった、と思い出し、むしろ懐かしささえ感じられるのでした。

 そんな錯覚を楽しんでいると、やがて車道は農道の風情になり、十字路の信号を待って左にハンドルを切ります。すると方角的には北に進路を取って、そのまま進めば天皇家の御用邸に近づく道路を進みます。間もなく右手には「りんどう湖」という、かつての農業用人造湖が見えてきて、すぐ真向かいの丘に、巨大なロッジ風の屋根が視界に入ります。そこが今日の目的地、那須では史上初となる、自家栽培葡萄からのワイン生産をめざすワイナリー「NASU 661 WINE HILLS」さんです。

2022年7月グランドオープンのワイナリー本館

 駐車場から本館へ上がる、砂利敷きの歩道の途中には、醸造所や宿泊施設と思える小さなロッジが並び、さながら娯楽施設にいる気分。本館の石段を上ると、バーベキューが楽しめるテラスやレストランも併設されており、家族連れ、仲間連れでも楽しめるように設計されています。何より本館の前面に広がる、ワイン用の葡萄畑が圧巻。実際に使われる葡萄を間近に見ながら、ワインを味わい、バーベキューを楽しむとは、なんという贅沢でしょう。

カベルネやシャルドネが栽培される広大な葡萄畑

 そんなワイナリーの演出に心を掴まれつつ、清潔感に溢れ、カントリー調のセンスの良い店内に入ると、室長の齋藤靖さんがやさしい笑顔で迎えてくれました。開口一番「この7月にオープンしたばかりで、実はまだ準備途中なんです。もちろん、大部分はできていて、部分的に営業していますが、細かな所ではまだ手を加えています。そんなわけで、私は準備室長なんですよ」と控えめながらも、夢を語るようなまなざしが素敵です。

広くて心地よい、清潔感あふれる店内

 店内を案内していただきました。販売スペースは、もちろん地元の那須や栃木産のワインが中心。蒸留酒や葡萄以外の果物のワインも目につきます。

「まだ自社栽培の葡萄を使ったワインはないんです。葡萄栽培をはじめて3年目。ようやく木が育ち、実もついてきましたが、ワイン用に収穫できるにはあと数年はかかるでしょう。現在、カベルネ、シャルドネ、シラー、アルバリーニョ、プティ・マンサンを作っています。どんなワインになるのか、今から楽しみです」と話す齋藤さんの表情は明るく、確かな未来を感じさせます。

 さら店内奥に進むと、提携するアメリカのトマセル・ワイナリー社のフルーツ・ワインが華やかにディスプレイされています。そのニューヨーク産フルーツ・ワインたちは、有料でテイスティングもできるようになっています。

米国ニューヨーク州のトマセル社から届くフルーツ・ワインの数々

 一例として、グレープフルーツとマスカットのブレンド、クランベリーとマスカットのブレンド、スイカとマスカットのブレンドなど、面白い組み合わせが見られてワクワクします。ほかにも10種類以上ものブレンドを常備。ワインでありながらも、甘いエキスをいただくような飲み心地は軽やかで、キーンと冷やせば、この蒸し暑い夏にうれしい一杯になること請け合いです。従来のワインが苦手な方にも、バーベキューのおともに楽しんでいただけるのではないでしょうか。

ワインは冷蔵室にあり、ボタン一つで適量のワインが注がれる試飲器

「このトマセル社との提携は3年前、フルーツ・ワインという共通点を持ち、ビジネスの理念が近いことから始まりました」と、齋藤さん。というのも、この「NASU661」ワイナリーの母体は「ロイヤルベリーズファーム社」といい、すでに自社農場で栽培したブルーベリーを使った、自社製のブルーベリー・ワインで長年の実績を誇る会社なのです。ちなみに、この「661」という数字は、ロイヤルベリーズファーム社の代表取締役・室井秀貴氏のお名前から「ムロイ(661)」とあてたというユーモラスな逸話があるそうですが、そんなところにも経営陣のフロンティア精神を垣間見る気がするのです。

 さて今回、多数あるラインナップの中から「ブルーベリーワイン 辛口」をご紹介します。色はロゼを思わせる明るい紫、香りはやはりベリー系で、紫蘇のようなニュアンスも感じます。

自社製のブルーベリーワイン辛口

   アタックは軽やかで、酸味はなく、非常にライトな飲み心地ですが、かといって水っぽさやジュースっぽさは微塵もなく、ベリーの果実味がしっかりとあります。口の中の広がりはどこか梅酒を思わせますが、甘味のないフレッシュな喉ごしで、最後に苦味の余韻がきて、サッと引く、辛口ワインとしての完成度の高さを感じます。

   これは日本の食事とも良く合うのではないでしょうか。ヴェネツィアに暮らしていた頃、「イカの墨煮(Seppia al nero)」にライトな赤や、熟成感のある白を合わせていただいていました。その感覚からすると、日本食なら「イカのワタ焼き」や、なめろうを焼いた「さんが焼き」など、相性が良いのではないかと思います。

ヴェネツィア名物のイカの墨煮。ライトな赤に合います。きっとブルーベリーワインにも…

 フルーツワインの伝統に、近い将来本格ワインが加わることを想像すると、NASU661の充実ぶりに益々期待が高まります。TERRAイタリア語&カルチャースクールはこれからもNASU661を応援します。